2008年5月27日火曜日

苦手

ここ数年、このスペインの音楽社会に片足を突っ込んでみると、緞帳の裏側の世界はどこの国も一緒だったりする。
私は音楽が好きで、歌が好きで、歌を歌ってきてみたが、実は音楽の世界はというか音楽家たちの社会という物は
苦手だったりする。多分どの職業でも一緒だとは思うが、私は自分の名前の前に職業を言うやつは、初対面でも距離を置く。
音楽家というのは、かなり自己錯誤の仕事なので、実際の社会とのギャップが見えにくくなってしまっている人が多い。
ようするに、舞台をおりても、歌手であるということがバレバレなひと。舞台をおりたとたんに観客に間違えられる人。と二通り
あるようだ。私は自分では後者の方だと思う。
建築家しかり、ジャーナリストしかり、画家やほかの芸術に携わる職業をしている人間たちというのは、いつどこで、何をしていても
自分の足がしっかり見えていないと、職業に振り回される可能性があると思う。
また、舞台立つときも私は私でありたいと思う。私が歌を歌っている訳であるから、2つと無い芸術が生まれる訳である。

この間友達のうちへホームパーティーに招待された。そしたら建築家ばっかりで、3時間建築の話をしっぱなしだった。
またその和に混ざらない建築家たちとお話ししていたところ”だいたい一般の人はこの屋根が何でできてるかなんて、興味ないでしょ”
といっていた。そりゃそのとうり、全く面白くも何ともない話である。
そういう面白くも何ともない話が3時間も4時間もできる人というのは、やっぱり面白くない作品を作るんじゃないかと想像してしまう。
コンサート終了後打ち上げ時にまだシューマンやシューベルト意外の話ができない人がいる。
全くその人の歌は人間味がかけているように思えた。内心”やっぱりね” とつぶやいてしまった。
ジャーナリストの友達が結構いる。私に何か質問をして、その答えを自分なりに自己消化する人間と、質問する前に
その答えが頭の中にできてしまっている上で私に質問してくる人がいる。
全くもって困った物である。彼らのシナリオ道理に答えなければ否定されるだけだからだ。
この人の書いた新聞は読みたくないと思う。

という訳で、私の周りは混ざらない人間でいっぱいだ。と、いうことは、私も群れにはなじみにくい人間だからである。